京都にある「お城」の歴史をご紹介。
歴史ある建造物「お城」には、たくさんの魅力があります。
ここでは京都にあるお城の一部をご紹介します。
二条城 元離宮二条城の歴史

1994年に、UNESCO(ユネスコ)の世界文化遺産「古都京都の文化財」として登録。徳川幕府の歴史を伝える文化財でもある。
1603年(慶長8年)に徳川家康が、京都に滞在する際の宿泊所として造営。(当時は、現在の二の丸御殿と天守部分のみ) 後の、第三代 徳川家光が西側に本丸御殿と天守閣を整備した。
6棟からなる二の丸御殿の大広間は、徳川慶喜が大政奉還を発表した場所としても有名である。
二条城では、3月下旬から4月中旬までライトアップが開催される。城内に咲く200本を超える桜や庭園等も観賞できる。 また、二の丸御殿では琴の生演奏も開催され、京都の伝統文化が楽しめる。
伏見桃山城の歴史

1592年(文禄元年)築城。豊臣秀吉が隠居生活を送るための城としても有名。
伏見桃山城は3度に渡り築城されており、当初は指月に造営、慶長の大地震により倒壊し、木幡山に移され木幡山伏見城として新たに築城された。
関ヶ原の戦いでは、秀吉の留守を守っていた鳥居元忠が、石田三成に攻められ伏見城の大半を焼失。「血天井」の云われは、この時の生々しい跡が残る天井板のこと。供養を兼ね複数の寺などの天井板に再利用され今でも跡を残している。
現在あるお城は、1964年(昭和36年)に遊園地の売りとして作られた模擬天守。遊園地は閉鎖したものの、住民の強い要望により取り壊されることなく40数年以上伏見のシンボルとしている。2004年から整備され、2007年に伏見桃山城運動公園として市民の憩いの場として親しまれている。
勝竜寺城の歴史

1339年(暦応2年)細川頼春が南朝方の攻撃から京都を守るために造営されたと云われており、 西国街道と久我畷が交差する交通上の要所に築かれている。
1578年(天正6年)には、明智光秀の娘、お玉(細川ガラシャ)と細川藤孝のあととり細川忠興が新婚生活を送ったことでも有名。後の山崎の合戦で、明智光秀が本陣を構えた。
お城の主郭部分には、本丸と沼田丸があり水堀や土塁が巡らされていた。かつて、本丸を中心に、西側に沼田丸、沼田屋敷、北側には松井屋敷、米田屋敷と、 さらに北側には外郭及び神足屋敷が構えられた。
1992年に勝竜寺城公園として復興したのを記念し「愛と感動の物語」をテーマにした市民のお祭り「ガラシャ祭り」を開催。お輿入れ行列や歴史文化行列の他、特設会場ではイベントも開催される。